txicの日記

那須野が原でひまつぶし

神さまを待っている 畑野智美 を読んで考えたこと

 頼る、依存、自立、自己責任
 今の日本の暮らしにくさを表している、このことばたちが、この本の主人公たち。

愛が失業後に、雨宮と交わした会話から、


「失業のことも聞きたいし」
「ああ、うん」 真面目に話せば、雨宮は怒らずに聞いてくれる。知り合いに頼んで、仕事を紹介してくれるかもしれない。でも、それでは駄目だ。大学生の時、わたしはずっと雨宮に甘えていた。誰にも甘えず生活できるようにならなければ、自立にならない。もう大学生ではないのだから、困ったことが起こるたびに、雨宮を頼るわけにはいかない。

誰にも甘えず生活できるようにならなければ、自立にならない。*

 というのはほとんどの日本人の根底にある考え方であると思う。
 
 しかし、この意識は今変わりつつある。
「生き心地の良い町―この自殺率の低さには理由がある―」(岡檀著、講談社)の中には以下のような記述がある。

「悩みを抱えたとき、誰かに相談したり助けを求めたりすることに抵抗があるか」との問いに対し、「ない」との回答は、(自殺率の低い)海部町で62.8%、A町で47.3%と大きな差がついた。

 まよわず人に頼ることが出来る海部町のひとたちは幸せに見える。

 人に頼れない、自己責任という考え方がどれだけ人を不幸にするか。
 助けを求めることは利己的ではない。
 助け、助けられることは生活の基本である。

 NHKのETV2002「国境を越えて生きるわかいあなたへ〜緒方貞子からのメッセージ〜」
という番組の中で、前UNHCRカブール事務所長 山本芳幸さんとの対談で緒方貞子さんが言っている。
「(国の)完全な自立とは、完全な相互依存である」
これはETV特集 全ての人々に尊厳を 〜緒方貞子が遺したもの〜 2020/1/18放送の中で見た

 北朝鮮という国は相互依存したくてもできない。自立できていない国の代表であろう。
 これは人にも当てはまる。
 相互依存しないでは、人は社会の中で自立不可能である。

 著者は救いが無い人をたくさん見てきたのだと思う。私の知らない救いようのない現実を抱えている。
 だから結末を希望で締めくくったのでは無いか?。