趣味で腹いっぱい 山崎ナオコーラ を35ページまで読んで考えたこと
ALL REVIEWSの絵本・児童書の書評欄をたまに見ている。
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童話『プンスカジャム』(くどうれいん作 クリハラタカシ絵)の書評のところに、
くどうれいんさん憧れの作家、山崎ナオコーラさんにエッセイをお寄せいただきました。
とあった。
くどうれいんの絵本ではなく、山崎ナオコーラの本を図書館で借りた。
趣味というところに興味があった。
これまで35ページ読んで、仕事、稼ぎ、幸せという私の大好物単語が出てきた。
勉強の目的として、前にいくつか列挙した。
今見てみると、これからのためにというものばかりだ。
勉強するのは今勉強するためだ、というのも目的に追加したい。
どうして生きているのか?は生きているために生きている。
生きているというのは、呼吸して、ご飯をたべていないと死んじゃうから生きている。
今勉強するというのは、勉強するために勉強している。
今この文章を書いているのはいつ頃、こんな考えになったのかを記録したいというのもあるが、書くために書いているということもできる。
おちが無いなぁ~
ちょっと違う見方 視点・論点「まばたきの意外な役割」11/14 NHK
まばたきのあとの数秒間、心拍数があがっている。 …… 図3
まばたきが脳のはたらきを変化させ、心拍数を上げる、きっかけになっている。
3.まばたきが、あいづちになっている。
話している人がまばたきをしてから0.25秒おくれて聞き手がまばたきをすることが見られた。 …… 図4
ちゃんと聞いてますよという合図である。目は口程に物を言うであある。
神さまを待っている 畑野智美 を読んで考えたこと
頼る、依存、自立、自己責任
今の日本の暮らしにくさを表している、このことばたちが、この本の主人公たち。
愛が失業後に、雨宮と交わした会話から、
「失業のことも聞きたいし」
「ああ、うん」 真面目に話せば、雨宮は怒らずに聞いてくれる。知り合いに頼んで、仕事を紹介してくれるかもしれない。でも、それでは駄目だ。大学生の時、わたしはずっと雨宮に甘えていた。誰にも甘えず生活できるようにならなければ、自立にならない。もう大学生ではないのだから、困ったことが起こるたびに、雨宮を頼るわけにはいかない。
誰にも甘えず生活できるようにならなければ、自立にならない。*
というのはほとんどの日本人の根底にある考え方であると思う。
しかし、この意識は今変わりつつある。
「生き心地の良い町―この自殺率の低さには理由がある―」(岡檀著、講談社)の中には以下のような記述がある。
「悩みを抱えたとき、誰かに相談したり助けを求めたりすることに抵抗があるか」との問いに対し、「ない」との回答は、(自殺率の低い)海部町で62.8%、A町で47.3%と大きな差がついた。
まよわず人に頼ることが出来る海部町のひとたちは幸せに見える。
人に頼れない、自己責任という考え方がどれだけ人を不幸にするか。
助けを求めることは利己的ではない。
助け、助けられることは生活の基本である。
NHKのETV2002「国境を越えて生きるわかいあなたへ〜緒方貞子からのメッセージ〜」
という番組の中で、前UNHCRカブール事務所長 山本芳幸さんとの対談で緒方貞子さんが言っている。
「(国の)完全な自立とは、完全な相互依存である」
これはETV特集 全ての人々に尊厳を 〜緒方貞子が遺したもの〜 2020/1/18放送の中で見た
北朝鮮という国は相互依存したくてもできない。自立できていない国の代表であろう。
これは人にも当てはまる。
相互依存しないでは、人は社会の中で自立不可能である。
著者は救いが無い人をたくさん見てきたのだと思う。私の知らない救いようのない現実を抱えている。
だから結末を希望で締めくくったのでは無いか?。
なんで勉強しなきゃいけないの? ひょっこりひょうたん島の場合を追加
勉強の目的を一つ追加。
↓ 前の記事 txic.hatenablog.com
これが昔、わたしに勉強する意味を教えてくれた歌。
人間になるため、勉強なさいと、サンデー先生が歌っていた。
すっかり、忘れていた。
烏ヶ森公園のアヤメ 伊勢物語のカキツバタの歌 わたしも一句
アヤメが咲きだした。
2年前だと結構、数があったが、今は池のほとりにぽつぽつしかない。
五月十七日のアヤメと橋
以下のHPよりコピペ。
むかし、をとこありけり。そのをとこ、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、あづまの方に住むべき国求めにとて行きけり。もとより友とする人ひとりふたりしていきけり。道知れる人もなくて、まどひいきけり。三河のくに、八橋といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つわたせるによりてなむ八橋とはいひける。その澤のほとりの木の陰に下りゐて、乾飯食ひけり。その澤にかきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、かきつばたといふ五文字を句の上にすゑて、旅の心をよめ、といひければよめる。
から衣きつゝなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ
とよめりければ、皆人、乾飯のうへに涙おとしてほとびにけり。
絵巻に書いてあるかきつばたはほんのちょっとなので、今の烏ヶ森とどっこいか?
カメが日光浴をしていた。
歌は詠めないが、俳句か川柳なら、と一句。
雨がふる
やぶれかぶれに
めぐる池 倒錯
2018年のアヤメ