txicの日記

那須野が原でひまつぶし

日本語びいき6 品詞の谷間 コラム 清水由美 (文) ヨシタケシンスケ(絵)

6 品詞の谷間に、動詞の〜している。の形が書いてある。コラムがまた面白い。

 

清水先生は飛騨高山っていうところに生まれ育った。飛騨地方の言葉は〈進行〉と〈結果〉をそれぞれ別の形式で表す。進行は〜しよる。結果は〜しとる。で表される。

標準語だと太っている。は普通結果だが、どんどん太っているなら進行を表す。

高山弁だと、太っとると太りよる?かな?。で明確にどちらかがわかる。

標準語は「〜している」という形一つで〈進行〉と〈結果〉を表すという無理なことをしている。

 高山弁で、「冷めつつある」と言いたければ「冷めよる」、「お茶冷めよるよ、はよ飲みない」。そして「お茶冷めとるな。新しいの淹れるな。」なら〈結果〉

留学生の母語でも〈進行〉と〈結果〉で別の形式を持つ事が多い。

らしい。

 

正月中は、新しい本を探さなくても、この本の内容をそのままブログに書いて暮らせそう:ー)

 

少し自分で考えたこと↓

 

外国人に日本語を教える教師が、今一番自分の頭で深く考えられる日本人だと思う。

理由:

人は設計実験をしたり、他国の文献を読んだり、外国に出かけたり、未知の領域に足を踏み入れて仕事する。

仕事をするときは少なからずフレーム問題に踏み込むことになる。

 

フレーム問題とは(Wikipediaによると)人工知能における重要な難問の一つで、有限の情報処理能力しかないロボットには、現実に起こりうる問題全てに対処することが出来ないことを示す。

例としてよくあるのが、ロボットに何かを部屋から取り出すという問題を出すと、その問題に集中できずあらゆる可能性:天井が落ちてこないかなどを計算し始め、結局うまく行かない。

人間の場合だと、自家用車の運転を習いはじめのときに、後ろ向きに車を車庫に入れる時、ハンドルの切り方、バックミラーに映る景色、アクセルの踏み具合など処理する情報が多すぎて何から初めていいかよくわからないということも例に挙げられる事がある。

この解決法としてはまず何かしてみる=試行錯誤が一番の解決になる。

一方、日本語を外国人に教える日本人たちは日本語で日本語をどう教えようと考えている。

訳が分からなくなって日本語が話せなくなるということはあまりない。たまにあるけど。

〈進行〉と〈結果〉と同じ形式の文を外国人に違いを教える時も、日本語で考える。

問題がはっきりすれば後は資料をあたるかもしれないが普通は日本語である。

それに学習者たちが、自分たちの言葉では別の言い方をすると、日本語で教えてくれたりする。

自分が一番得意な道具だけを使用して未知の領域に踏み込む仕事が出来る。

他の仕事ではこういうわけには行かない。

 

私の数少ない経験。

日本語の長音ー先生をひらがなでせんせいと書くが、発音はせんせえと4拍で発音する。と言うと、ベトナム語では2重母音というのがあり、母音が続くときは2拍ではなく1拍で発音する場合があると言われたことがある。

日本語で言われるので、そうなの???という疑問は湧くがベトナム語を勉強しようという気にはならない。しかし、今度からは、そういう風に説明しようかなという気になる。

 

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